ブログ
創業の地
「家具から始める家づくり」リーフの猪倉です。
今日は、少し早めの盆休みを昨日に続き頂いてました。
午前中にお坊さんに来ていただいてお盆の法要を終えた後、昼からは天王寺へ。
先日迎えた誕生日のお祝いにと女房にランチに誘われていたのです。
場所は天王寺区にあるあべのハルカス最上階のレストランでした。
レストランからの眺めは素晴らしく、伊丹空港に発着する飛行機の様子もうかがえたり。
お天気にも恵まれて、とてもよい時間を過ごすことができました。
食事が終わってエレベーターホールから西の方角を見下ろすと、70年前に祖父が創業した家具工場の跡地が見えました。
現在、大阪市立大学付属病院の周辺は大きく再開発されて、昔とは面影が全く変わっています。
そこから坂道を下ったあたり、「西成区山王」と言われる地域に、昭和22年、祖父が家具工場を設立したのが弊社の原点です。
小さい頃はよく遊びに行ったものの、40年ほど前に火事で全焼してからは訪れることもなく、天王寺周辺には行くことがあっても、その場所までは行ったことがありませんでした。
実は、先ほど食事中に青空の下の大阪の光景を見ていた時に、なぜか、祖父や父親が体験した大阪大空襲のことを思い出していました。
この空の上に多くのB29が焼夷弾をまき散らしながら飛んでいた日々からわずかに72年。
その2年後に祖父が立ち上げた家具工場。
その当時の祖父や父親に想いをはせていただけに、40年ぶりに創業の地に行こうと思い立ったのです。
ハルカスから少し歩くととても立派になった大阪市立大学医学部付属病院が。
私が子供のころはこの辺りは実験に使われる犬の収容小屋があり、近くを通ると何とも悲しげな鳴き声が聞こえて思わず足が速くなったものです。
この、病院の奥に山王地区に降りる石段があったはず。
ちゃんと、残っていました。
綺麗にコンクリートで整備された階段ですが、真ん中で少し曲がっているところ、幅の狭さも昔のまま。
ここから見える夕日はとても綺麗だったことを思い出します。
祖父の工場へ遊びに行ったとき、よくこの階段で遊んでいました。
階段を降り切ったあたりには昔は沢山長屋があり、芸人が多く住んでいました。
この階段でトランペットの練習をしていた楽団員もいました。
この周辺には「てんのじ村」とも呼ばれ、直木賞を受賞した難波利三さんの小説の舞台にもなっています。
階段を降り切って振り返ると、40年前の思い出が沢山よみがえってきます。
路地の突き当りにあるこの階段。
上は華やかな地域なのに、下はいまだに昭和の香りのする下町です。
この階段を降り切ったあたりに祖父の家具工場がありました。
40年前、寝泊まりしていた職人のタバコの火が原因で出火、工場と隣のアパートも全焼。
幸い、けが人は出なかったものの、テレビのニュースにもなりました。
当時、大阪狭山市にいた私たちに、祖父と同居していた叔母から「今、燃えている!」とだけ電話があったのを中学生の私は聞いていました。
父親が直感で工場に急行したときはもう近寄れないぐらいに燃え盛っていたということです。
そんなこんなを思い出しながら、近くを散策してみました。
いまではすっかり観光地になり、安全にもなったジャンジャン横丁。
子供のころの私には怖い匂いのする、近づいてはいけないような場所でした。
串カツが大好きだった父親に連れられて、掘ったて小屋のような店で頬張った揚げたての串カツの味を思い出します。
再び、市大病院のあたりまで戻ってくると、先ほどまで我々のいたハルカスがこちらを見下ろしています。
創業70年の節目に、しかも自分の誕生日近くに、この地を40年ぶりに訪れたのは祖父や父親の導きがあったからなのでしょうか。
焼け野原になった大阪から体一つで立ち上げた原点を忘れるなということを教えてくれたのかもしれない。
少し早めのお盆休みに頂いた、先代、先々代からの大きなプレゼントでした。
******************************
*:..。o○ 家具から始める家づくり ○o。..:*
株式会社 リーフ 代表取締役 猪倉 厚
1級建築士・宅建士・インテリアコーディネーター
Facebook https://www.facebook.com/atsushi.ikura
株式会社リーフ(シャルドネ大阪南港)
1級建築士事務所 大阪府知事(ロ)第22510号
宅地建物取引業 大阪府知事(1)第56790号
建設業 大阪府知事(般-25)第140355号
〒559-0034 大阪市住之江区南港北2-1-10ATCビルITM棟5階
TEL 06(6613)6311 FAX 06(6613)6313
******************************