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前沢ガーデンハウスの想い出
何気なく、新聞を読んでみるとある記事が目に留まりました(日本経済新聞平成29年3月28日夕刊)
「前沢ガーデンハウス」
私が「家具から始める家づくり」を考える原点になった物件であり、わずかながらでも作品の実現に参加させていただいた仕事の第1号でありました。
紅顔の美少年だった頃(笑)、当時大学院で建築を学んでいた私はぼんやりと将来のことを考え始めていました。実家は家具の小売業を営んでいましたが、これからの家具、インテリアは建築ともっとかかわらないと、と考え建築の道に進んでいました。
大学院の卒業も1年後に控え、そろそろ将来の道を、と考えたころ、所属していたゼミの先生ではなく、当時新設されていた環境計画学科に来られていた象設計集団の重村先生のところへよく遊びに行っていました。神戸元町にある、象設計集団、TEAMZOOのいるかアトリエでもバイトをさせてもらい、初めての建築模型を作ったりしていました。
ある日、建築雑誌に目を通していると東京の設計事務所「エンドウプランニング」の設計した「北鎌倉E邸」が目に留まりました。記事によると、実家が家具工場で自身は設計を学び家具と建築の双方の観点から建築設計を行っているところということでした。
自分の歩もうとする道にすでに進まれているところがあるんだなあと気になり、ほどなく重村先生にお会いした時にその話をすると、「俺の早稲田の先輩だから紹介してやるよ」と思わぬお声が。その夏休みは学部卒業してすでに東京の設計事務所で働いていた同級生の中野のアパートに転がり込み、約2カ月、「エンドウプランニング」でのアルバイト生活が始まりました。
そして、最初に与えられた仕事が前沢ガーデンハウスのラウンジに置く家具の製作図面の作成だったのです。エンドウプランニングを主宰していた遠藤精一さんは早稲田の建築を卒業された後、槙文彦さんの事務所で勤務されていました。遠藤さんのお父様が病気で倒れられた後、実家のエンドウ総合装備にもどられ、設計事務所部門であるエンドウプランニングを設立されたのですが、事務所では槙事務所からの造作家具やキッチンの依頼も多くありました。前沢ガーデンハウスもその一つでした。
代官山のヒルサイドテラスにあった事務所のとなりには、宮脇檀事務所からエンドウプランニングを経て独立された家具デザイナー、藤江和子さんのアトリエがありました。藤江さんから意匠図を受け取り、それを製作図に書き直して川崎市にあったエンドウ総合装備の工場と打合せを行うのが私の仕事だったのです。
様々な曲面で構成されたベンチはブナの積層合板を何枚も重ねて作られ、移動のために底面に取付けるキャスターも外部から見えすぎるとデザインを壊してしまうのでどう納めるかが難関でした。最終的には発泡スチロールで原寸模型を作り、槙先生にチェックしてもらいに槙事務所へ伺いました。何点かの質問を受けた後、OKをいただきほっとしました。その後、完成した作品を黒部まで見に行くことなく今まで建ってしまいましたが、ネットで探してみると当時の写真が残っていました。
前沢ガーデンハウス遠景
槙文彦さんの端正なデザイン。
和のプロポーションも感じられて今でも新しく感じる。
円形ベンチ
始めて携わった作品。(といっても実施設計のみ)
ドーナツ型のベンチを6分割(8分割だったかも)
用途に応じてレイアウト変更できるようにキャスターを内蔵
連結時に固定できるようにマグネットキャッチも目立たないように取り付けた
ベンチ
「くじら」っていう名前がついていたような記憶が
当時の藤江和子さんの作品に多く見られたデザイン
槙事務所からはこのあとも個人住宅のキッチンの注文もいただき、私の初めてのオーダーキッチンの制作経験となりました。
藤江和子さんの当時のデザインの特徴はブナの積層合板を連続させてカーブを作っていくという手法が多かったのですが、現在当社が入居しているATC(アジア太平洋トレードセンター)のホールにも似たような家具が置いてあります。デザインから見て藤江さんの作品にちがいないと思うのですが銘盤などないので正確なことはわかりません。でも、そうならばなんと不思議なご縁なのでしょう。
家具から考える家づくりの原点となった、初めての仕事の想い出でした。
大阪南港ATCのベンチ
ロータリーのある1階においている。
デザインから見て藤江さんのように思えるんだが・・・